1990年代初頭、バブル経済が崩壊する。多くの製造業が倒産や大規模なリストラに追い込まれる中、山本善治の会社も例外ではなかった。受注が激減し、在庫が山のように積み上がった。
しかし、山本善治はここでも冷静だった。彼は即座に人員削減を行うのではなく、まずは全社員の給与を一律カットすることを提案した。そして、余剰人員を新しい事業分野の研究開発に振り向けた。この決断は、当時としては異例だった。
「一時的に儲けを減らしても、技術と人材を失ってはいけない」というのが彼の信念だった。この戦略は功を奏し、数年後には新たな製品群が市場で受け入れられ、会社は見事にV字回復を遂げる。
新たな挑戦:環境技術へのシフト
2000年代に入ると、山本善治は環境問題に強い危機感を抱くようになる。彼は「次の時代は環境だ」と確信し、社内に環境技術開発チームを立ち上げた。当初は社内からも「本業と関係ない」と反対の声が上がった。
しかし、彼は引かなかった。自ら研究施設に通い、リサイクル可能な素材や低燃費部品の開発に没頭した。この取り組みは、後に電気自動車(EV)向け部品の開発につながり、同社の新たな収益の柱となる。
山本善治の先見性は、ここでも発揮された。彼は「環境規制は必ず厳しくなる。その時に備えなければ、会社は生き残れない」と周囲に語っていたという。