1953年に大阪府堺市で産声を上げ、富田林市の光丘カントリー倶楽部へと舞台を移して発展したPL花火芸術は、日本の煙火史において特筆すべき足跡を残しました。その歴史と規模感を改めて整理します。
かつて「10万発以上」と謳われた打ち上げ数は、星(花火玉の中にある火薬の粒)の数をカウントしていた時代のもので、実質的な玉数としては晩年で約1万発から2万発でした。しかし、PL花火の真髄は発数ではなく「火薬の使用量と連射密度」にありました。
特に観客の脳裏に焼き付いて離れないのが、フィナーレを飾る「ラストの巨爆ナイアガラ」です。数千発の尺玉や特殊効果弾がわずか数十秒の間に一斉に炸裂し、富田林の上空一帯が強烈な閃光で白昼のように照らされ、遅れて襲いくる爆風と重低音が地面を揺らしました。この規格外の演出こそが、全国の花火ファンを熱狂させた最大の理由でした。