なぜ共同体は特定の土地を忌み嫌い、あるいは神聖視して封鎖したのか。この問いに対し、近代日本を代表する知識人たちが鋭いメスを入れてきた。日本民俗学の祖である柳田國男は、山人(やまびと)や境界の民に対する里人の畏怖と差別が、タブーの空間を形作ったと指摘した。人が住まう「ハレ」と「ケ」の領域と、神仏や異形が蠢く未開の「他界」。その境目に位置する峠や辻、深山幽谷は、秩序を乱す危険な場として忌避されたのである。
柳田の議論をさらに深化させたのが折口信夫だ。折口は「マレビト(稀人)」の概念を提唱し、海の彼方や異界から訪れる神格を迎えるための神聖な空間が、日常から切り離された禁足地へと変容した道筋を解き明かした。神が降り立つ「依り代」としての磐座(いわくら)や神叢(ひもろぎ)は、一般人の接触によって穢れてはならない。禁足の掟は、共同体のアイデンティティと聖なる秩序を保つための不可欠な防衛システムであった。