植民地の人々を揺さぶった怒りの本質は、単に税率が高かったからではない。問題は1773年に制定された茶法にあった。財政難に喘ぐイギリス東インド会社を救済するため、本国政府は植民地への紅茶独占販売権を同社に付与。過剰な関税や中間コストを削減し、表面上は紅茶の市場価格を従来よりも引き下げる策に出た。安価な紅茶を流し込むことで植民地側の不満をなだめつつ、本国の課税権を実質的に承認させようとする巧妙な計算が働いていたのである。
しかし、植民地の商人や市民はこの政治的企てを見抜いていた。「代表なくして課税なし」の理念を掲げる彼らにとって、自分たちの意向を無視して決定された課税構造そのものが容認できない権利侵害だった。地元の密輸業者や正規商人の経済的死活問題も絡み合い、本国の独断的な経済政策に対する反発は瞬く間に広範な不買運動へと拡大した。