日本文学史において、もっとも凄惨で劇的な兄弟喧嘩として語り継がれるのが、ジャーナリズムの頂点に君臨した兄・徳富蘇峰と弟・蘆花の絶縁関係です。
兄の蘇峰は、民友社を率いて『国民新聞』を発行し、当初は平民主義を掲げて青年層のカリスマとなりました。しかし、日清戦争後に国家主義・帝国主義へと急速に舵を切り、政界の黒幕(山県有朋や桂太郎ら)と結びついて権力の中枢へと接近していきます。一方、弟の蘆花はキリスト教的人道主義と個人の良心に根ざした理想主義を貫き、日露戦争の開戦にも強く反対しました。
二人の亀裂が決定的となったのは1903年(明治36年)のことです。蘆花は兄の主宰する『国民新聞』紙上に、突如として「告別の辞」と題する絶縁状を一方的に発表しました。
「僕の兄と其れに付随するすべてのものに絶交」を通告したこの前代未聞の行動は、世間に凄まじい衝撃を与えました。単なる政治思想の違いだけでなく、巨大な兄の庇護下から脱して独立した一人の人間・表現者として立ちたいという蘆花の痛切な叫びが、この過激な決別に込められていたのです。