大宝律令が発布された701年(大宝元年)、皇位に就いていたのは第42代の文武天皇(もんむてんのう)です。即位時の年齢はわずか15歳(数え年)前後であり、日本史上でも屈指の若さで即位した天皇の一人でした。
文武天皇は、律令政治の基礎を固めた天武天皇と持統天皇の嫡孫(孫)にあたる人物です。本来であれば、父である草壁皇子が即位するはずでしたが、若くして病没。そこで祖母である持統天皇自らが即位し、孫である軽皇子(後の文武天皇)が成長するまでの「中継ぎ」として政務を執りました。
697年に文武天皇が即位した後も、持統天皇は太上天皇(上皇)として君臨し、共同統治に近い形で孫を支え続けました。つまり、大宝律令は「名目上は文武天皇の治世」において完成したものの、その実質的な政治的後ろ盾には、皇統の安定を願う持統天皇(持統上皇)の強いリーダーシップが存在していたのです。