東日本大震災への対応は、当時の菅直人政権と小沢グループの党内抗争をさらに激化させる引き金ともなりました。発災直後から、福島第一原発事故への対応や官邸主導の意思決定プロセスを巡り、菅首相のスタンドプレー的な現場介入に対する批判が小沢派を中心に噴出します。
小沢氏は、国家の非常事態においては「首相自らが細部に口を出すのではなく、権限を閣僚や現地の司令塔に大幅委譲し、巨額の財政出動を迅速に決断すべき」と主張しました。具体的には、補正予算の大規模な編成や復興庁の早期設置、被災地の二重ローン救済策など、スピード感を重視した復興政策を次々と提言しました。
しかし、菅官邸側は小沢氏の動きを「震災に乗じた政権揺さぶり」と警戒し、両者の溝は修復不能なまでに深まります。この感情的な対立と指揮系統の二重化は、復興基本法の成立遅延や補正予算の執行スピードに影を落とし、2011年6月の内閣不信任決議案をめぐる大政局へと直結していきました。