世界を制覇した「東洋の魔女」の実態は、現代のアスリートのような専業プロではありません。彼女たちは全員、大日本紡績の従業員であり、一般の女性社員と全く同じように朝8時から15時半まで工場でしっかりと通常業務をこなしていました。糸を紡ぎ、工場の機械を管理する過酷な労働を終えた後、夕方16時から深夜までの猛練習が毎日のように繰り広げられたのです。
年間の休日は元日と盆の数日のみ。当時の選手たちの手記や回顧録には、「練習中に意識が遠のき、ボールが何重にも見えた」「深夜に練習が終わり、宿舎の階段を手すりにつかまりながら這うようにして上がった」という壮絶な証言が残されています。単なる体力強化の次元を遥かに超えた、極限状態での心身の鍛錬でした。
この極限の環境から生まれた最大の技術革新が、代名詞ともいえる「回転レシーブ」の開発です。大型選手のスパイクを受ける際、小柄な日本選手は腕だけで受けてもボールの威力に弾かれ、後方へ吹き飛ばされてしまいます。そこで大松監督が着目したのが、日本の伝統武道である柔道の「受け身」でした。
ボールの落下点に飛び込み、レシーブのインパクトと同時に床の上で一回転して衝撃を分散させ、反動を利用して瞬時に立ち上がる――。この一連の動作によって、どんな強打であっても身体へのダメージを抑え、次の動作へとシームレスに移行することが可能となりました。床との激しい摩擦で選手たちの太ももや腰には常に青あざが絶えず、火傷のような擦り傷の上に包帯を巻いて練習を継続する日々でした。精神論だけでなく、「体格差を力学と動作効率で埋める」という明確な工学的アプローチこそが、回転レシーブの本質だったのです。