文豪の強烈な情念の渦に巻き込まれた夫・渡辺終平との結婚生活は、やがて終焉を迎えます。家庭内に谷崎の圧倒的な影が差し込むなか、終平と千萬子は次第にすれ違い、最終的に離婚という道を選択しました。
離婚後の千萬子は、誰の庇護にも頼らない自立した女性としての経歴を築き上げます。東京・六本木にアートギャラリーを構え、独自の審美眼で現代美術や工芸を扱う画廊オーナーとして多くの文化人や知識人と交流しました。単なる「文豪のミューズ」という枠に収まらない、鋭い知性と行動力を備えた女性実業家でもありました。
晩年には回想録『忘れもの 谷崎潤一郎と私』を上梓。世間に流布した卑俗な憶測を退け、大文豪と過ごした濃密な時間と、その奥にあった人間的な孤独と優しさを気品ある筆致で綴り、高い評価を受けました。