鶴田浩二『赤と黒のブルース』耳に手を当てる歌唱の真相と昭和歌謡の哀愁

鶴田浩二『赤と黒のブルース』耳に手を当てる歌唱の真相と昭和歌謡の哀愁

鶴田浩二『赤と黒のブルース』耳に手を当てる歌唱の真相と昭和歌謡の哀愁にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

鶴田浩二の代名詞といえば、スタンドマイクの前に立ち、左手で左耳を塞ぐようにして歌う独特のスタイルです。昭和のテレビ番組やお茶の間では「キザで甘美なスターのナルシシズム」として受け止められ、後には数多くのものまねタレントによって親しまれました。しかし、関係者の回想録や当時の医療記録が物語る真相は、それとはまったく異なる過酷なものでした。

鶴田は青年期に海軍航空隊に身を置き、特攻隊の出撃を見送る整備任務などの過酷な軍務に従事していました。その軍隊生活における爆音や事故、過酷な体罰によって、左耳の聴力を著しく失うという重大な難聴を負っていたのです。戦後の俳優活動では持ち前の集中力でハンディを補っていましたが、音程の正確さが要求される音楽活動では、致命的な障壁となって立ちはだかりました。

さらに、1950年代の録音スタジオや劇場のステージには、現代のような返しのモニタースピーカーやインイヤーモニター(イヤモニ)は一切存在しませんでした。オーケストラの生演奏が大音量で鳴り響く中、左耳が聞こえない鶴田は、伴奏にかき消されて自らの声のピッチ(音程)を把握することが極めて困難だったのです。

そこで編み出された苦肉の策が、「左耳に手を当てて外音を遮断し、自らの体内を伝わる骨伝導と手のひらによる音の反響でピッチを確認する」という手法でした。つまり、あのポーズは計算されたパフォーマンスなどではなく、自らの障害を乗り越えて一音一音を誠実に届けるための必死の防衛手段だったのです。不完全さを隠すのではなく、極限の集中から生まれた所作が、結果として誰にも真似できない孤高のダンディズムとして大衆の記憶に刻まれることになりました。

山本 拓海
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山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。