黒田官兵衛の家紋「藤巴」と「黒餅」の由来!有岡城幽閉の感動秘話

黒田官兵衛の家紋「藤巴」と「黒餅」の由来!有岡城幽閉の感動秘話

黒田官兵衛の家紋「藤巴」と「黒餅」の由来!有岡城幽閉の感動秘話を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を分かりやすく展開します。

黒田藤巴が生まれた背景には、官兵衛の人生で最も過酷を極めた「有岡城幽閉」の悲劇があります。天正6年(1578年)、織田信長に突如謀反を起こした摂津有岡城主・荒木村重を説得するため、官兵衛は単身で城内へ乗り込みました。しかし説得は実らず、官兵衛は捕縛され、陽の光すら届かない地下の土牢へ幽閉されてしまいます。

監禁生活は約1年(およそ360日)に及びました。湿気と汚臭が充満する牢内で足腰は萎え、頭髪は抜け落ち、皮膚病に侵されるなど、心身ともに極限状態へと追い込まれます。さらに外の世界では、帰還しない官兵衛を「村重に寝返った」と誤認した織田信長が、人質として預かっていた官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の処刑を命令。この絶体絶命の危機を、盟友である軍師・竹中半兵衛が機転を利かせて松寿丸を匿い、命を救った逸話はあまりにも有名です。

暗闇の牢獄で絶望に暮れる官兵衛の目を奪ったのが、牢の格子窓の隙間からわずかに見えた「藤の花」でした。季節が巡り、過酷な環境のなかで凛と咲き誇る紫の藤房を見た官兵衛は、「生きて再び乱世に立つ」という強烈な希望と生命力を取り戻したと伝えられています。

天正7年(1579年)、織田軍の総攻撃によって有岡城は落城し、家臣の栗山善助らによって救出された官兵衛は奇跡の生還を果たしました。命を繋ぐ希望となった藤の恩を忘れないため、官兵衛は家紋を藤巴へと改め、生涯の誇りとしたのです。

吉田 誠
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吉田 誠

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