運動会で踊られるダイナミックなソーラン節の正式名称は、一般に「南中ソーラン(なんちゅうそーらん)」と呼ばれます。その発祥の地は、日本の最北端に位置する北海道稚内市立稚内南中学校です。この事実を知る人は、現場の教職員を除けば今なお多くありません。
時計の針を1980年代後半に戻すと、当時の日本の学校教育は校内暴力や非行、いわゆる「学校崩壊」の嵐に見舞われていました。最北の稚内南中学校も例外ではなく、校舎の窓ガラスが割られ、授業が成立しない極めて荒廃した状況に追い込まれていたと、当時の記録誌や教員たちの手記は克明に伝えています。
生徒たちの荒れるエネルギーを前向きな情熱へと転換できないか――。苦悩した教職員と生徒たちが活路を見出したのが、生徒自らの手による「学校祭での郷土芸能の演舞」でした。かつて地域を支えたニシン漁の力強さを表現するソーラン節に目を向け、生徒たちと対話を重ねながら血の通った身体表現を模索し始めたのです。
この取り組みを運命的な転機へと導いたのが、民謡歌手の伊藤多喜雄氏との出会いでした。伊藤氏が率いる「TAKIO BAND」が発表した、エレキベースやドラムス、和太鼓を融合させた革新的なアレンジ曲『TAKiO'S SOHRAN BUSHI』に、学校全体が文字通り衝撃を受けます。この先進的な音源に合わせ、郷土舞踊家の指導を仰ぎながら、生徒たちが汗と涙を流して創り上げた独自の振付こそが「南中ソーラン」の原点です。
1993年、稚内南中学校の生徒たちは郷土芸能を競う全国規模の檜舞台「第10回記念日本民謡民舞大賞」に出場を果たし、並み居る強豪を打ち破って最高賞である内閣総理大臣賞を射止めました。荒れていた少年少女たちが魂をぶつけ合い、栄冠を手にした実話は、教育界の奇跡としてドキュメンタリー番組や新聞各紙で大きく取り上げられることとなります。