グラビアでのブレイク後、彼女のキャリアを決定づけたのがバラエティ番組への進出でした。持ち前の頭の回転の速さと物怖じしない埼玉県民トークがプロデューサー陣の目に留まり、2000年代中盤には『クイズ!ヘキサゴン』『トリビアの泉』『めちゃ×2イケてるッ!』など主要局の看板番組を総なめにし、名実ともにバラエティ女王の称号を手にします。
当時の昔のエピソードとして有名なのが、台本やカンペに頼らない徹底したアドリブ力です。大御所芸人相手にも絶妙な間合いで切り込み、スタジオの空気を一変させる瞬発力は業界内でも突出していました。しかし、その輝かしい活躍の裏側では、年間数百本に及ぶ過酷な収録スケジュールと「おバカキャラ」「リアクション要員」として消費され続けることへの精神的プレッシャーが蓄積していきました。
限界に達したのは2006年末のことでした。重度の神経性胃炎などを患い体調を崩した彼女は、レギュラー番組を相次いで降板。事実上の芸能活動休止へと追い込まれます。後年の手記や特番インタビューで本人は「画面の中で笑いを取るたびに、本当の自分が空っぽになっていく感覚があった」「20代前半でこの先どう生きていくべきか分からなくなった」と告白しています。華々しいテレビの世界から距離を置いた背景には、メディアの使い捨て文化に対する強い危機感と、自立した人間としてのアイデンティティを取り戻すための決死の選択がありました。