『移民の歌』が誕生した背景には、1970年6月にバンドが訪れたアイスランド・レイキャビク遠征での強烈な実体験が存在します。当時、文化使節の一環として招聘されたレッド・ツェッペリンでしたが、現地に到着した直後、公務員による大規模なストライキが発生し、コンサート会場が使用不能になるという不測の事態に見舞われました。
ライブの中止が現実味を帯びる中、現地の大学生たちが立ち上がり、自らの大学ホールを開放してライブ運営を買って出たのです。熱狂的なアイスランドの若者たちに迎えられたステージは大成功を収め、バンドは極北の地で未曾有の歓待を受けました。
ロバート・プラントはこの遠征の印象について、後年のインタビューで次のように回想しています。
「私たちは氷と雪の大地を訪れ、信じられないほどの歓待を受けた。あの地で見た白夜、立ち上る温泉の湯気、そして氷河の風景が、私の中に眠っていたヴァイキングの血を呼び覚ましたんだ」
レイキャビクのステージを終えてからわずか数日後、プラントの頭の中で渦巻いていたインスピレーションが一気に爆発し、名曲の骨格が書き上げられました。「氷と雪の大地」「白夜」「湧き出る温泉」という冒頭の情景描写は、プラントが車窓から目撃したアイスランドのリアルな原風景そのものだったのです。