始皇帝が長城建設を決定した際、現場の最高指揮官としてプロジェクトを一手に担ったのが、秦の誇る名将・蒙恬(もうてん)将軍です。始皇帝から30万の大軍を預けられた蒙恬は、瞬く間に北方民族をオルドス地方から駆逐し、険しい山岳地帯に沿って長城を一気に延伸させました。
しかし、その輝かしい功績の裏側には、想像を絶する苛烈な労役動員が存在していました。過酷な建設現場に送り込まれたのは、主に以下の人々です。
最も重い負担を強いられたのが各地から強制徴用された一般農民と、兵役中の兵士たちでした。さらに始皇帝は、法を犯した「罪人」を過酷な刑罰として長城建設へ動員しました。当時「城旦(じょうたん)」と呼ばれた受刑者たちは、首や足に重い枷をはめられたまま、断崖絶壁に土や石を運び上げる苦役を課されました。
険峻な山嶺での作業は過酷を極め、食糧の補給路もままならない中、厳冬の猛吹雪や夏の酷暑、疫病、滑落事故によって無数の人々が命を落としました。正確な記録は残っていないものの、秦代だけでも数十万人規模の死者・犠牲者が出たと伝えられており、「長城の基礎には死者の骨が埋められている」と恐れられたほどでした。