櫻井翔が当時ここまで鋭く尖っていたのには、明確な内的動機が存在していました。それは、名門・慶應義塾の幼稚舎から普通部、高校、そして慶應義塾大学経済学部へと進学するエリートコースと、芸能界という特殊な環境の狭間で戦っていたことに起因します。
13歳で自ら履歴書を送って事務所に入所した際、親からは「学業を疎かにするなら即刻辞めさせる」という厳格な条件を突きつけられていました。当時のインタビューで櫻井は「学校では『ジャニーズだからって調子に乗るな』と見られ、仕事場では『お坊ちゃんのお遊びだろ』と色眼鏡で見られるのが何より悔しかった」と振り返っています。周囲の偏見を力づくでねじ伏せるため、試験前には睡眠時間を極限まで削って猛勉強し、出席日数を完璧に維持しながらステージに立ち続けました。
「見た目はチャラチャラしているのに、誰よりも完璧に結果を出す」ことこそが、彼なりの強固なプロテスト(反抗)でした。2004年に提出された慶應義塾大学の卒業論文では、産業構造や著作権ビジネスを深く掘り下げたテーマを扱い、留年することなく4年でストレート卒業を果たしています。金髪やへそピアスという攻撃的な武装は、周囲のステレオタイプな評価から自己の尊厳を守り抜くための「防壁」だったと言えます。