歴史の針を80年近く前に戻そう。戦後日本における「戦犯」概念の骨格を形成したのは、1946年から1948年にかけて開かれた極東国際軍事裁判所、いわゆる東京裁判である。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の主導のもと、勝者が敗者を裁く形で行われたこの法廷は、最初から強烈な政治的思惑と対立を内包していた。
法廷では被告たちがA級(平和に対する罪)、B級(通常の戦争犯罪)、C級(人道に対する罪)という区分で告発された。中でも開戦時の首相であった東條英機をはじめとする指導者層は、A級戦犯として指定され、国家を無謀な戦争へと導いた共同謀議の主謀者とみなされた。ダグラス・マッカーサー最高司令官率いるGHQは、天皇の開戦責任を問わない政治決断を下す一方で、東條ら軍部首脳にすべての戦争責任を集中させる構造を作り上げたのである。
東條英機は法廷において自身の正当性を主張しつつも、最終的には自ら死刑台へと歩んだ。しかし、この裁判で提示された「A級戦犯」というレッテルは、単なる法的区分を超えて、その後の日本の政治史や外交問題において消えることのない巨大な影を落とし続けることになる。