山田五十鈴の生涯において、最も切なくドラマチックな影を落としているのが、実の娘である瑳峨三智子との関係です。
月形龍之介との離婚後、幼い三智子は山田の手元を離れ、親族の手で育てられました。長じて母と同じ女優の道を歩み始めた三智子は、母譲りの美貌と華やかなスター性で脚光を浴びます。映画や舞台で母娘共演を果たす機会もありましたが、その関係は常に世間の好奇の目にさらされ、深い葛藤を孕んでいました。
娘の三智子にとって、山田五十鈴は憧れの存在であると同時に、幼少期に自分を手放した母への拭いがたい愛憎の対象でもありました。一方、役者としての厳しさを誰よりも知る山田は、娘の奔放な生活態度やスキャンダルに対して時に冷徹なまでの距離を置きます。二人の間には、母娘の情愛だけでは埋められない役者同士の強烈なライバル心と確執が存在していました。
薬物問題や金銭トラブルに翻弄された三智子は、1992年に滞在先のタイで57歳の若さで急逝します。娘の悲劇的な最期を知らされた際、山田五十鈴は多くを語らず、胸中に悲痛な思いを秘めたまま舞台に立ち続けました。芸に生きることを選んだ代償として背負ったこの母娘の悲哀は、昭和芸能史の胸を締め付ける一幕として今も語り継がれています。