だが、世間のネガティブなイメージとは裏腹に、ゴリ自身はすでに別の夢へと舵を切っていた。本名である「照屋年之」名義で始めた映画監督としての活動だ。彼がメガホンを取った作品は、沖縄の風土や家族愛を深く描き、国内外の映画祭で高い評価を受けるようになる。
テレビのひな壇で消費される日々から抜け出し、表現者として一生モノの作品を創り出す。このクリエイティブへの渇望こそが、彼が東京のキー局バラエティから自ら距離を置いた、もう一つの真実と言えるだろう。消耗戦のテレビ界から「降りる」選択は、表現者としての生存戦略だったのだ。