二・二六事件によって渡辺錠太郎という重鎮を失ったことは、その後の日本陸軍および国家の行方に致命的な影響を及ぼしました。渡辺は陸軍首脳部の中でも数少ない「国際派のリアリスト」であり、無謀な軍備拡張や精神論偏重の暴走を抑える防波堤の役割を果たしていたからです。
彼が教育総監として目指していたのは、感情に流されず近代的な戦術と国際法規を理解する理知的な将兵の育成でした。しかし、事件によって岡田内閣は崩壊し、陸軍内部では反乱を起こした皇道派が粛清されたものの、皮肉にもクーデターの危機感を背景に統制派が軍部独裁の主導権を握ることになります。
軍部の発言権は一気に強まり、政党政治の息の根が止められた日本は、翌年の日中戦争勃発から太平洋戦争へと急速に転落していきました。もし渡辺錠太郎が生きて教育総監として軍の舵取りを続けていたなら、軍部の暴走を別の形で抑制できたのではないか――。昭和史の研究者たちの間で、彼の死は「日本の運命を決定づけた痛恨の分岐点」として今なお重く受け止められています。