江口のりこの芝居に対する一切の妥協のなさは、過酷を極めた下積み時代に根ざしています。兵庫県で生まれ育った彼女は、中学卒業後に様々なアルバイトを掛け持ちして上京資金を貯め、単身で東京へと渡りました。
柄本明が座長を務める名門「劇団東京乾電池」のオーディションに合格したものの、当時の生活は風呂なし・家賃数万円のアパート暮らしという極貧状態。新聞配達や喫茶店のバイトで食いつなぎながら、演劇の基礎と厳しいリアリズムを叩き込まれました。
劇団で学んだ「役に嘘をつかない」「自分をよく見せようとしない」という教えは、彼女の骨肉となっています。生きるか死ぬかの瀬戸際で芝居にしがみついていたからこそ、映画の現場で裸になることや過激なシーンに対しても、恥じらいより「役を全うする」という覚悟が勝っていたと言えます。