事件当時24歳だった石川氏は、文字が書けないことを周囲に知られるのを恥じ、必死に隠しながら生きていました。しかし、1963年5月23日に別件逮捕された取り調べの現場で、警察はその無知と非識字の境遇を徹底的に利用します。
「自白すれば10年で出られる」「兄が代わりに逮捕されるぞ」といった虚偽の甘言と脅迫に晒された石川氏は、警察官が作成した調書の内容を自ら確認することもできず、言われるがままに指印を押してしまいました。文字を読めない青年が、自らの手で重大事件の犯人に仕立て上げられていく恐怖と絶望は想像を絶するものがありました。
事態が大きく動き出したのは、東京拘置所へ移送された後です。文字を奪われていた石川氏は、獄中で支援者からの差し入れや辞書を頼りに、平仮名と漢字の勉強を一から開始しました。自らの無実を世の中に伝えるには、自らの手で文章を書くしかないと覚悟を決めたからです。
血のにじむような努力の末に文字を獲得した石川氏は、家族や支援者へ向けて無罪を叫ぶ手紙を何通も書き綴るようになります。文字を覚えたことによって、石川氏は奪われた尊厳を取り戻し、冤罪と闘うための強力な武器を手に入れたのです。